ハイスクールの友達とスケートリンク施設にて(撮影:娘)

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カナダ留学は英語のためだけ?5年暮らして見えた「謙虚」という価値観

留学と聞くと、まず「英語力」を思い浮かべる人が多いかもしれません。
けれど、海外生活が長くなるほど、「英語、もうペラペラでしょ?」という一言に、答えづらさを感じることがあります。

その「答えづらさ」は、英語力そのものよりも、どう振る舞うのが正解なのか分からない感覚から来ているのかもしれません。
できることをそのまま認めていいのか、それとも一歩引いて謙虚でいたほうがいいのか。

この記事は、カナダ・ハリファックスで5年間暮らしてきた長女が、日本語の作文教室で書いた読書感想文をもとにしています(本人了承済)。
テーマは「謙虚の美徳」。

日本で大切にされてきた「謙虚さ」は、カナダで暮らすなかでどのように捉え直されていったのか。
長女の言葉を通して、留学が子どもの内面にどんな変化をもたらすのかを辿ってみたいと思います。

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留学は「英語力」以前に「自分をどう評価するか」が問われる

留学の成果が「英語力」で測られがちなのは、分かりやすい指標だからだと思います。
話せるか、話せないか。
通じるか、通じないか。
数字やレベルで表しやすく、周囲も判断しやすい。

けれど実際に生活してみると、英語が話せるかどうか以上に、心が揺さぶられる場面のほうが圧倒的に多くあります。

・言いたいことがうまく伝わらなかったとき。
・逆に、思いがけず褒められたとき。
・そして、「あなたはどう思うの?」と意見を求められたときです。

特に印象に残るのは、日本に一時帰国した際にかけられる言葉です。

・「英語、ペラペラなんでしょ?」

この質問は、相手にとっては何気ないものでも、答える側にとっては簡単ではありません。
「喋れる」と答えた瞬間に期待が生まれ、
「喋れない」と言えば、これまでの時間を否定してしまうような気がする。
その間で迷い、言葉を選ぶことになります。

こうした迷いは、英語力の問題というよりも、自分をどう評価するかという問題に近いように感じます。
できることを認めていいのか。
それとも、謙虚でいたほうが無難なのか。
留学生活の中では、そんな判断を日常的に迫られます。

英語はあくまで道具です。
けれど、その道具を使う場面では、必ず自分自身が前に出ます。
そのとき、自分を必要以上に下げてしまえば、言葉以前に伝わらない。
かといって、過剰に自分を大きく見せようとすれば、違和感が残る。
そのバランスを探す過程こそが、留学生活の大きな部分を占めているのだと思います。


日本で大切にされてきた「謙虚の美徳」に対する疑問

長女が読書感想文の中でまず触れていたのは、日本で大切にされてきた「謙虚さ」についてでした。日本では昔から、周囲との調和を大事にし、目立ちすぎないことが良いとされてきました。自分を強く主張しすぎないことで、人間関係のトラブルを避けやすくなる場面も多かったのだと思います。

特に、年上の人や目上の人との関係においては、謙虚な態度が礼儀として受け取られてきました。そのため、謙虚さそのものが悪いわけではなく、社会の中でうまく生きていくための知恵として機能してきた側面があります。

長女もまた、小学校6年生の夏までその価値観の中で育ってきました。
褒められたときには一歩引く。
できることがあっても、あまり前に出ない。
そうすることで、空気を乱さずに済むという感覚は、日本では決して珍しいものではありません。

ただ、その一方で、彼女は疑問も抱いていました。
自分の努力や、できることまで否定してしまうほどの謙虚さは、本当に必要なのだろうか。
謙虚であろうとするあまり、自分自身を小さく扱ってしまうことが、かえって自信を失う原因になるのではないか。
読書感想文には、そんな率直な思いが綴られていました。

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カナダで出会った、もう一つの価値観

カナダでの生活の中で、長女は日本とは少し違う空気に触れることになります。
そこでは、褒められたときに素直に「ありがとう」と答える友人たちが多くいました。
謙遜することよりも、まず相手の言葉を受け取り、その上で相手の良さを見つけて返す。
そんなやり取りが、ごく自然に行われていたのです。

褒め言葉をそのまま受け取ることは、自慢することとは違います。
相手の好意を否定せずに受け止めることが、結果的にお互いにとって心地よい関係につながっていく。
長女は、その様子を「WIN-WINの関係」と表現していました。

また娘は、「謙虚の美徳」は日本人特有のものではないとも感じるようになりました。
人の価値観は、国籍だけで決まるものではありません。
育った環境や、周囲にいる人たちの影響によって、大きく左右されるものです。

自己肯定感の高い人が多い環境では、自分を認めることが自然になります。
一方で、謙虚でいることが当たり前とされる環境では、その考え方が無意識のうちに刷り込まれていく。
留学生活を通して、長女は「文化」という言葉だけでは説明できない、環境の力を実感していきました。

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「英語しゃべれるの?」と聞かれるたびに迷う自分

日本に一時帰国すると、長女はよく同じ質問を受けます。
「英語、ペラペラなんでしょ?」

五年間も海外に住んでいるのだから、きっと流暢に話せるはずだ。
そんな期待が、その一言には込められているように感じます。

実際、日常生活を送り、学校に通い、友人と関係を築く中で、英語は生活の一部。環境の力で英語での意思疎通には困らないまで聞いたり話せるようになりました。

そのため長女は最近、「喋れるよ。だって、もう長く住んでるから」と答えるようにしているそうです。

けれど、その言葉を口にするまでには、少しの躊躇があるのだとか。
「喋れる」と言い切った瞬間に、「英語で何ていうの?」と直訳を求められることがあるからです。
その場で完璧に応えられなかったとき、相手をがっかりさせてしまうのではないか。
そんな不安が、頭をよぎるそうです。

この感覚は、英語力そのものよりも、期待されて失敗することへの怖さに近いのかもしれません。
期待に応えられなかったらどうしよう、という意識が、無意識のうちに謙虚さとして表に出てしまう。
それが、自分の中でストレスになっているのではないか、と彼女は感じていました。

だからといって、必要以上に自分を小さく見せたいわけではありません。
かといって、自信満々に振る舞えるほど割り切れているわけでもない。
その間で揺れながら、長女は「ある程度濁す」という、自分なりの距離感を選ぶようになりました。

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カナダ生活で学んだのは、謙虚さを手放すことではなかった

カナダ生活を通して見えてきたのは、「謙虚さは必要ない」という結論ではありませんでした。
むしろ、日本で大切にされてきた謙虚さには、今でも意味があり、役に立つ場面があると感じています。

ただ一方で、謙虚であろうとするあまり、
自分の努力や、できるようになったことまで否定してしまう必要はない。
多文化環境で生活する中で、長女はそのことを少しずつ実感するようになりました。

褒められたときにどう受け取るか。
期待されたときにどう答えるか。
自信を持つことと、出しゃばらないことの間で、どこに立つのか。
その答えは一つではなく、場面ごとに変わってもいい。
日本を離れて暮らすことは、そうした使い分けを試行錯誤できる時間なのだと思います。

英語がどれだけ話せるようになったかは、分かりやすい成果です。
けれど、海外生活の中で積み重なってきたのは、
それ以上に、自分自身との向き合い方でした。

留学は、自信満々な人になるための場所ではない。
けれど、自分を否定し続けなくてもいいと気づく場所にはなり得る。
その小さな気づきが、子どもの視野を静かに広げていくのではないでしょうか。

もし留学を考えているなら、英語力だけで価値を判断しなくてもいい。
その時間の中で、子どもがどんな問いを持ち、どんな考え方や振る舞いを身につけていくのか。
そこにも、確かな意味があるように思います。

  • この記事を書いた人

Haru

カナダ・ハリファックスへ家族5人(未就学児〜小学高学年の子ども3人と夫)で移住。語学学校とカレッジを経て、ECE(保育士)としてフルタイム勤務。2024年永住権取得。 当ブログ「子ども教育キャンバス」では、カナダハリファックスを中心とした親子留学、英語学習、子育て、ハリファックスの生活情報を現地からお届けしています。 子どもを連れて日本を飛び出し、海外でゼロから生活基盤を立ち上げて暮らすことは、真っ白なキャンバスに絵を描いていくようなもの。このブログを通して一人ひとりが思い描いた生活を実現できるお手伝いができると嬉しいです。

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